種と縄文

このプロジェクトについて

益子町には多くの遺跡が確認されており、その時代は旧石器時代から縄文、弥生、古墳、中世と幅広い時期にわたって人の営みがあったことがわかっています。中でも縄文時代は、狩猟や採集による生活がされていた時代とされ、現代の益子に暮らす私たちの生活の中でも縄文人の営みを感じる機会があります。農作業中には畑の中から、石鏃(弓矢の先端に装着する石器)や縄文土器が顔を出すこともあります。そんなこともあり、益子周辺地域には何人かの“考古学愛好家”がいらっしゃいます。

この「種と縄文」が企画として持ち上がったのは、2019年5月のこと。発起人であるオーガニック野菜の販売を行う野原典彦さんの、縄文時代の文化や歴史などを知ることを通して、自分なりに未来の種をまき育んでいけるような取り組みをしたいという考えに共感したメンバーが集合しました。 「一万年も争いがなかった縄文時代から学び取るものは、決して少なくないはず。まず理論よりも五感をフル活用して多世代が楽しめるような企画を考えたい。興味の対象が異なるメンバーが集うことで、いくつかのカテゴリー(食、健康、風土、歴史、工芸、農業体験など)を用意し、今後もヒジノワの企画として、参加者と一緒に温め、育んでいきたい。」

益子町大字山本にある山居台(さんきょだい)遺跡は、見晴らしの良い台地状の土地に広がる広大な複合遺跡です。旧石器時代から、縄文時代早期・中期~晩期、奈良・平安時代に至るまで長期にわたって継続した大規模な遺跡群で、多くの遺物が確認されています。野原さんは、“とっても気持ちの良い場所”と知人に紹介され、山居台遺跡を散歩していたところ、偶然、近所にお住まいで長年にわたって山居台遺跡の遺物を収集されている廣澤文雄さんと出会いました。野原さんは、廣澤さんの収集物を見学したことで縄文人の確かな営みを感じ、また、狩猟だけでなく木の実を採集して暮らしを営んでいた縄文人から学ぶことがありそうだと感じたそうです。

一方で、野原さんは、日ごろから交流のある茂木町在住の矢野茂さんが思い出されました。廣澤さんと同じように長期間にわたって縄文時代の研究をされてる知人がいたのです。お二人とも縄文時代に関して深い知識と並々ならぬ探求心があり、きっと意気投合すると確信しました。

野原さんの提案を受け、ヒジノワでは縄文時代に関心がありそうな有志が5人ほど集い実行委員「縄文会」として2019年7月から活動を開始しました。すぐに、廣澤さんと矢野さんを交えた顔合わせ兼打合せも実施しました。初期の話し合いでは、お二人の収集物を展示すること、縄文人が使っていたと思われる“種”にまつわる食べ物や植生、その土地に代々伝わっている植物や野菜を調理するなどいろいろなアイデアがでました。最終的には、気軽に縄文人の暮らしについて知り、話し合い、子どもが参加できそうなワークショップもやりたいということになりました。